2009年05月01日

親父の手料理

160 :( ´∀`)ノ7777さん:2008/11/13(木) 09:22:04 ID:tAB4lEHD0
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、
持っていたお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。

161 :( ´∀`)ノ7777さん:2008/11/13(木) 09:22:58 ID:tAB4lEHD0
さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。
流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。

親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。

メロン盃の契り

45 :( ´∀`)ノ7777さん:2008/09/17(水) 07:11:51 ID:0U8lo/XIO
小学校6年くらいの時の事
親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、
名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。
帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、公園のブランコに座って立てなくなった私に、
親友はずっと付き添っていてくれ、
「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、カバンからメロンのアイスの容器
(メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。
一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんてメロンのカップ
片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。
十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップをカバンにこっそり
忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して
「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、あなたがいてくれたからやってこれたんだと
伝えたかったのに、
ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ〜」とメロンのカップを出すしか
できなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛〜ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
もちろんメロンのカップで。
もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した。

2007年07月29日

おばちゃんのソーキソバ

沖縄旅行中にレンタルしたバイクが故障してしまい、
電話を借りようと思ってフラっと入った汚い食堂での出来事。
無事バイク屋と連絡が取れ、引き取りに来るまで一時間程かかるっつーから
仕方無しにその食堂で待たせてもらう事にしたのね。
で、まあ電話借りるだけってのも悪かったから
腹減ってなかったけど適当に「ソーキソバ」って注文したのさ。
そしたらさ、おばちゃん。なぜかすげぇ嬉しそうな顔してすげぇ大盛りのソーキソバ持ってくんの。
「え〜!!これが沖縄サイズかよ!!」とか思いながら仕方無しに食い始めたんだけど
暑くて夏バテ気味だし大盛りだし食い切れないのよ。
30分くらい頑張ったんだけど、もう麺なんか伸びて汁吸っちゃって
出てきた時と見た目変わんないくらい残ってんのね。
仕方無しに「ご馳走さま」っておばちゃんに声掛けたらそのドンブリ見て
「口に合わんかったか…」って寂しそうに言うのよ。

「ごめんおばちゃん、美味かったけどお腹そんな減ってなかったんだ」
って言ったらおばちゃんベソかきながら
「大阪にあんたと同じ位の息子が働きに出ててねぇ、
その息子もこのソーキソバ不味い言うて全然食わんのよ。
あんたも食わんでしょ。だから本当に不味いんか思うてね」
なんて言うもんだからさ、俺も高校のアホみたいな反抗期の頃
母ちゃんが作ってくれた弁当捨ててコンビニのパンで済ませてた事
思い出して泣いちまった。二人でワンワン泣いたよ。

おばちゃん、あの時は残してちゃって本当にごめん。
そしてありがとう。あれから俺は親に、食い物に感謝するようになった。
好き嫌いも直った。絶対に、何があっても食い物は残さなくなった。
本当にありがとう。
そして大阪で働いてる息子。おばちゃんのソーキソバは美味い。死ぬほど美味い。
特にお前にとって世界中のどんなものよりも美味いはずだ。
まぁ随分昔の話なんでもう気付いてるだろうけどな。

2007年07月22日

ルパン三世の最終回

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 14:20:49
窓からの光が、室内の塵に反射して瞬く。無機質で、どこか寒々しい病室。
そこに、ルパンがいた。
薄水色の病院服の上に赤いジャケットを羽織り、ベッドの上に腰掛けていた。
大きく息を吐くと、銭型は病室へと足を踏み入れた。ルパンを、逮捕するために。
捕まえる? この今にも死にそうな病人を?
長年夢見てきた事だというのに、銭型にとってそれは既に無価値だった。
「よく来たなぁ、とっつぁん」
人を食ったような態度でルパンが声をかける。
掠れきった声、扱けた頬、体中に繋がれたチューブは心電図へと繋がっている。
かつての面影は、ほとんど残っていない。
そこにいるのは、死を目前に控えた一人の病人だった。
「ルパン、何で貴様がこんな……」
「天下の大泥棒にも、勝てない物があったってことさ」
「一生をかけて追い続けて来て、こんな幕切れとはな」
「そんなら見逃してくれよ、とっつぁん」
「そればかりは出来ん相談だな。ルパン、貴様を……貴様を逮捕する」
「ごめんだね。俺ぁ逃げるぜ」
「今の貴様に何が出来る」
銭型の言葉に、ルパンはにやりと笑った。
「どうかな?」
ジャケットから取り出したのは、ワルサーP38。それを自らのコメカミに押し付けて言った。
「あばよ、とっつぁん」
銃声がコンクリートの壁に反響する。急激に乱れた心電図は、数刻の間にフラットとなった。
してやったり。
銭型の脳裏に焼きついたルパンの最期は、そんな、いつも通りの彼の姿だった。
「ルパンめ……まんまと逃げおった……」
銭型は、失われた何かが再び燃焼し始めるのを感じていた。
コートからガバメントを抜き、セーフティを解除する。
「逃がすものか。どこへ行こうが必ず捕まえてやるぞ、ルパン」

2007年07月14日

星の形のにんじん

510 名前: 投稿日: 2006/03/27(月) 13:52:48
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。

2007年06月24日

酷すぎる君

関係をせまると、あなたは紳士じゃないといわれる
関係をせまらないと、あなたは男じゃないといわれる

たびたび部屋を訪れると、もっと1人の時間がほしいといわれる
あまり部屋を訪れないと、二股かけているのかといわれる

はやりのカッコいい服を着ると、あなたって流行にふりまわされて軽薄といわれる
はやりのカッコいい服を着ないと、あなたってダサダサで恥ずかしいといわれる

話を聞きながら発言すると、黙って聞いてよといわれる
話を黙って聞いていると、なにか言ってよといわれる

待ち合わせに30分遅れていくと、30分も待たせるなんてひどいといわれる
自分が30分遅れると、30分ぐらいなによといわれる

やきもちをやくと、しばられるのはいやという
やきもちをやかないと、もう愛はないのかという

そうだねと賛成すると、自分の考えがない人ねといわれる
そうじゃないと反対すると、理解がない人ねといわれる

愛してるよと言うと 口の軽い人ねと言われる
大好きだよと言うと それだけしか言えないのと言われる

墓に供え物をすると 君は無視する
僕は泣いているのに 君は安らかに笑っている

2006年01月05日

2006年01月03日

ごめんね

859 :(*゚Д゚)さん :2005/12/28(水) 04:40:58 ID:GCGuFfZC
>>682に贈ります。


私は高校の頃、人間関係で悩み

          ナンデイキテンノ?
キモインダヨ!!      サッサトシネヨ!!

  (`Д')       (`Д´#)
  ( )へノ(;';A`;)ヽ_(___)
   |   . (: ヘヘ,,    >



刃物で腕を切るのが癖になっていました。
全然死なない程度でしたが、多い時は100ヶ所くらい切り刻んだりもしました・・・。

  |
  |    ・・・・。 ( 'A`)
  |_____(メヽ)_____ 
 ./         | |  


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2005年11月08日

起死回生の好プレー

アメリカのとある地方に野球観戦の大好きな、
でも、目の見えない少年がいました。
少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。
アメリカのとある地方に野球観戦の大好きな、
でも、目の見えない少年がいました。
少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。
少年はその選手へファンレターをつづりました。

「ぼくは、めがみえません。でも、毎日あなたのホームランをたのしみにしています。
しゅじゅつをすれば見えるようになるのですが、こわくてたまりません。
あなたのようなつよいこころがほしい。ぼくのヒーローへ。」

少年のことがマスコミの目にとまり、二人の対面が実現することになりました。
カメラのフラッシュの中、ヒーローと少年はこう約束します。
今度の試合でホームランを放てば、少年は勇気をもって手術に臨む、と。
そして、その試合、ヒーローによる最後の打席。2ストライク3ボール。
テレビや新聞を見た多くのファンが、スタジアムで固唾をのんで見守り、
少年自身も、テレビの中継を祈る思いで聞いています。
ピッチャーが投げた最後のボールは、
大きな空振りとともに、キャッチャーミットに突き刺さりました。
全米から大きなためいきが漏れようとしたその時、
スタジアムの実況が、こう伝えました。

「ホームラン! 月にまで届きそうな、大きな大きなホームランです!」

2005年08月29日

ボロボロの家族写真

45 名前:名無しさん脚:03/11/20 01:38 ID:bgufB06L
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

2005年08月28日

小さな幸せが明日も明後日もずっと続きますように

その昔、大学の同級生の女の子にがりがりに痩せた子がいた。
細身の娘が好みだったのでお声掛け。程なく恋仲に。
あるとき、
「心臓に大穴が空いていて、苦しい。子供も無理。諦めるなら今のうち。」
と告白された。本人は死ぬ気だったらしい。
迷うことなく、恋人のまま。
出来る手術があるのなら、と方々の心臓外科を探しまくってなんとか手術に
こぎ着けた。

       どきどき。

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2005年08月27日

大きくなったら

609 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/01 17:31 ID:c.nPTq2A

我家は母子家庭。
もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば
生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。

ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく
超々安物の指輪を気に入って購入した夜。
私「ねえ、これかわいいでしょ〜?」(本当に気に入ってたから)
小4の息子「買ったの?」
私「うん、どう?」
息子「高かった?」
私「まっさかーー、500円だったかな」

その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまい
どうしたのかと思ってたら
「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから」
って涙ふきふき言われてしまいました。

買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほど
そういうのが欲しい私ではなかったのに
息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。
でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。

これから先、何があってもこの子がいてくれたら
乗り越えていける、って改めて思わせてくれた夜でした。

2005年07月25日

秘密基地

191 :前編 :2005/07/24(日) 17:38:14
幼い頃、近所の原っぱに作った秘密基地が俺達のたまり場だった。
拾ってきたトタン板や木工所から捨てられた木材などを寄せ集めて作った掘っ立て小屋。
今にして思えば犬小屋以下の造形だったが、それでも俺達にとっては
かけがえのない楽しい場所だった。

秘密基地に集まるメンバーの中にSと言う男がいた。
Sは手先が器用で、実は秘密基地建設も大半がSの手によるものだった。
ある日、秘密基地に行ってみると先に来ていたSが一心不乱に工具をふるって
基地にさらなる増設をしていた。
その日は皆で釣りに行く予定だったがSの「これができたらぜってぇー楽しいぞ。」との言葉に
釣り道具を放り出して増設の手伝いをした。
結局、その日は完成を見ることなく夜を迎え、続きはまた明日となり
皆は完成を楽しみにしながら帰路についたのだった。

翌日、いつもの原っぱに行ってみると、そこはすっかり様変わりしていた。
伸び放題だった草は刈り取られ、何台ものトラックが乗り入れていた。
そして俺達のゴミのような秘密基地は解体され、まさにゴミとして隅にうち捨てられていた。
近所の顔見知りのおっちゃんに聞くと、原っぱは駐車場になるのだという。
話を聞いたSの悔しそうで泣きそうな顔が印象的だった。
俺達の楽しい時間は唐突に終わりを告げた。
それから何日かは、次第に変わっていく元原っぱを見に来ては
言い表せない思いと共に歯噛みをしていたものだったが、次第に足も遠のき
中学入学と共にかつての仲間とも疎遠になり、秘密基地のことは記憶から薄れていった。

続きを読む

2005年06月16日

ここだけの味

874 名前:いい気分さん:2005/06/15(水) 15:26:57
中学の頃、近くにファミマとミニストップがあったんだが、俺はファミマ派でいつも通っていた。
ホットチキンとポテトが好きでしょっちゅう買ってたから、顔も覚えられてよく話しかけられたが、俺は悪い気はしなかった。
「髪切ったの?」「受験どうだった?」「あそこ受かったんだー、がんばったねー」とか他愛もない会話ばかりだけどその会話が心地よかった。
しかし、俺が高2の時にファミマがつぶれることになった…。
最後の日俺は閉店間際にファミマに行った。
いつものファミマなのに商品はほとんど売り切れ、客もいなく寂しげな空間に変わっていた。
一通りまわったが、欲しい商品がなかったので何を買うか迷っていると、
レジの店員に「来ると思ってとっておいたよ」とホットチキンとポテト、コーラを出された。
「今までたくさん買ってくれてありがとね。これサービスだからさ」と渡された。
「前から売り上げが厳しくなっててね…。思いきって閉めることにしたんだよ。ごめんね」と言われ、店がなくなることを改めて実感する。
急に寂しくなって、「いえいえ、俺にとって忘れられないコンビニだったし、もうここに来れないと思うと寂しいですね」と言うと、
「ありがとね。○○くんが最後のお客さんになってくれてよかったよ」と言われてジーンときた。
「今までありがとうございました」と言って店を出た。
家に帰り、ホットチキンとポテトを食べる。
その味が悲しかった。

2005年06月12日

長生きしなよ、おじいちゃん

219 名無しさん@5周年 2005/06/06(月) 02:31:32 ID:HjFyyubl
俺の嫁さんのおじいちゃん
20年前に寝たきりになったお婆ちゃんの介護を
一言も、誰にも文句を言うわけでもなく、甲斐甲斐しくしていた。
20年間、何処にも遊びにも行かずに

そしてお婆ちゃんは亡くなった。

おじいちゃんは泣いていた
親類も泣いていた、泣いてはいたが
「やっとこれからおじいちゃんも第二の人生が送れるんだろう」と
「旅行でも連れて行ってあげよう」と、どこかで思っていた。
(介護は断固としておじいちゃんがやると言って、聞いてくれなかったらしい)

お婆ちゃんが亡くなってすぐお爺ちゃんは倒れた

膀胱癌だった。

かなり進行していて、更に高齢な為に
何も出来る事はないそうだ

「何故ここまで放っておいたんですか・・・ここまで来るにはそうとう自覚症状もあったでしょうに・・・」

お医者さんはそういっていた。
一緒に暮らす家族全員、お爺ちゃんは健康そのものだと思っていたらしい。

「あいつの事で散々迷惑かけてるのに、そんな事言えるかい」
おじいちゃんは、そう言って笑っていた。

おれはいつかこんな人になりたい。
長生きするのがお爺ちゃんにとって良い事なのかは分からない
でもどうか、長生きして欲しいです。

2005年06月06日

ドロップアウト

ドロップアウトした医者 実例編

1 名前:ティムポ (・∀・)皮切り屋 ◆Vox57gcM96  [age] 投稿日:2005/05/13(金) 11:24:10 ID:KETU4CmR0
もう十数年前になるけど、嫁が急逝してドロップアウトした。
赴任先の基幹病院のある地方都市。俺の嫁は誰も知り合いもいない土地で、
最後まで子供の心配しながら最後まで俺に謝り続けて一人で逝った。
3歳の娘一人残して。
葬式の時、娘は「ママいつ来るの?ママいつ起きるの?いつ起きるの?」
ってずっと泣いていた。
娘は嫁の実家で面倒みてもらいながら仕事に戻ったよ。忙しい病院だった事
に加え、いつも学会準備に追われていたので帰宅は毎日遅かった。それでも
休みの日には嫁の実家に泊まりにいって、少しでも娘と一緒にすごすようにした。
母親がいなくなった事も受け入れているようで、俺がいくといつも笑って走って
来て「パパー!!」って抱きついてきた。
嫁の実家に行ってからは泣くこともなく娘は楽しく暮らしているように見えたよ。

続きを読む

2005年05月28日

教頭先生グッジョブ!

857 NHK名無し講座 sage 2005/05/25(水) 21:27:30 ID:s0AjrhQ5
おまえら、半額の寿司とから揚げゲットしてきましたよ


寿司床に落とした、三秒悩んで水洗いした

897 NHK名無し講座 2005/05/25(水) 21:29:59 ID:3deJm5Ph
>>857
小学校のとき給食の五目御飯を落としたとき代理できてた教頭先生が
「落ちたのがうまいんだ」といって俺と交換してくれたのをおいしそうに食べてたのを
思い出して、泣いた。

2005年04月04日

時間を大切にしなさい

1年の価値を知るには
卒業試験に落ちた学生に 聞いてみなさい

1ヶ月の価値を知るには
未熟児を産んだお母さんに 聞いてみなさい

1週間の価値を知るには
週刊誌の編集者に 聞いてみなさい

1時間の価値を知るには
会うのが待ちきれない恋人達に 聞いてみなさい

1分の価値を知るには
電車やバス、飛行機に乗り遅れた人に 聞いてみなさい

1秒の価値を知るには
事故で生き残った人に 聞いてみなさい

千分の1秒の価値を知るには
オリンピックで銀メダルを獲った人に 聞いてみなさい

時間は待ってくれません
あなたの持っている全ての時間を大切にしなさい
あなたの特別な人と分かち合う時間を大切にしなさい

2005年03月05日

お金で買えない価値がある

227 Mr.名無しさん sage 04/09/08 23:49
カーチャン、なかなか親孝行できなくてゴメンな。本当は家事を手伝ったり、
「カーチャンの作る飯が一番ンマイよ!」と言ったり
孫の顔を見せたりしたいんだが・・・

金銭的な孝行だけで(しかもそれも少ない)スマソ。
大学生の弟が居るんだが、もうじき学費の振込だ。なけなしの貯金20マソだが、足しにしてくれ・・・
本当はマッサージチェアを買ってやりたかった。40マソはする奴な…ムリポorz

228 Mr.名無しさん 04/09/09 01:01
>>227
40万が無いなら、お前の両手があるだろ。
その手は飾りか?

カアチャン喜ぶぞ。

2005年02月20日

思い出の3色弁当

俺のかーちゃん、普通の料理はそこそこ旨かったんだけど、弁当のセンスはなくてさ。

                    ハイ オベント

                J( 'ー`)し、,
                 ( ) ̄(__)   ('A`)  …ウン
                   | |       (  )ヽ

弁当箱の半分は白飯と梅干、たくあん。あとは煮物…ダイコンとか芋とかしいたけ。
ときどきがんもどきかさつま揚げ…よく包んだハンカチに醤油が染み出してた。

                       _____
             XXXXXXXXXX| ̄ ̄ ̄| ̄ ̄|
             XXXXXXXXXX|      | Π |

                    ( 'A`)
                    <=)ヽ?

タンパク質食べたいっていっても焼き魚とか、よくてせいぜいひき肉のコロッケ。
旨いは旨いんだけど、とにかく茶色一食で色気もくそもねえ弁当だった。
教室で食うのが恥ずかしくて、屋上に行ってこっそり食ってた



かあちゃん、パート先がスーパーの惣菜部だったから、売れ残ったおかず貰ってきて弁当に詰めてたんだ。

        イタダイテイキマス {  }           {  }
                J( 'ー`)し     (‐` ) タイヘンダネ
                   (ヽ=      (  )
                  | |         ││

O−157以来、ほんとはそういうのって禁止だったらしいんだけど。
うち余裕ないし俺とか弟とか食い盛りだったから、他のパートの人も黙認してたって後から知った。

                     ヤター カラアゲダ

                  ( 'A`)       ( ゚∀゚)ノ   (∀^)  ヒトツ コウカンシヨウゼ
               =/)         (ヽ=    =/)

でも…鶏のから揚げやハンバーグ、ブロッコリーやアスパラ、甘い玉子焼き。
プチトマトとかイチゴが入っているみたいな…友達のきれいな弁当がうらやましかった。

女の子の弁当箱にそんなの入っていると、旨そうなの半分、むかつくの半分でよくかっぱらった。

               川。>o)/        (`Д)ノ=
               (  )       ‐=≡( < )
               / l       ‐=≡/ >

遠足とか体育祭のときくらいそういうきれいな弁当が食いたくて、かあちゃんに言ったんだけど…
いや、ほんのちょっとだけ…赤とか緑とか色のきれいな弁当食いてえって、ぽろっと口から出て。

                           キレイナ ベントウクイタイ
             …  J( '-`)し
                 ( )       ('A`)
                   | |       (  )

でもうちの事情はわかってたから、期待はしてなかったんだ。

                        _  カパ
                   _ ('A`)ノ__
                  /   (ヽ=   /
                /     ヽヽ/
                      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そしたら。
いつもの弁当箱あけたら、中がイタリアの国旗みたいになっていた。

                  ,============================,
               //:':':':':':':':':':':':':,; : ; : ;,: ; :。。。。。。// |
             _//:':':':':':':':':':':':': : ; : : : ; : :。゚。゚。゚。゚。゚。// |
           γ _//:':':':':':':':':':':':': ; : : ; : : : '。゚。゚。゚。゚。゚。// /
           l  /):':':':':':':':':':':':': : .; : ; : ;,: 。゚。゚。゚。゚。゚。// /
           〉 //:':':':':':':':':':':':': ; ;,: : : ; : 。゚。゚。゚。゚。゚。// /
          /  .i===========================i ./
            /   /i                    | /
                |______________|/

3分の1が焼きジャケのほぐしたの。真ん中がいり卵。残り3分の1がインゲンマメの茹でたの。
たしかに3色弁当だったよ。それとアルミホイルに包んだ梨とゆで卵。
いり卵にゆで卵かよ!って思ったけど、あの惣菜部は焼きシャケ扱ってなかったから。

わざわざ鮮魚部で俺の弁当のためにシャケ買ったんだな、

               _________    {  }
           // /ニ/ /ニ/ /ニ/ //l  J(ー` )し
              '=================='│ ==ュ/)
              |_________|/   | |


インゲンもちゃんと茹でて、卵も…

                     J( 'ー`)し
                        ( \━l二l
                        | |   「‘‘l

「今日の弁当は残り物じゃない」って思ったらすごくうれしかった。


                    _ ('∀`) __
                  /   (ヽ=   /
                /     ヽヽ/
                      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

今、俺はコンビニでバイトしている。
           ____
           ____|             _□
            ̄ ̄ ̄ ̄|             ('A`)
           二二二二二       | ̄ ̄|  ( /)
                  |      | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

3色弁当が売れ残りそうになると、無性に泣きたくなる。
んで、かあちゃんに会いたくなる。
           ____
           ____|             _□
            ̄ ̄ ̄ ̄|             (ノA`)
           二二二二二       | ̄ ̄|  ( /)
                  |      | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

それだけ。

                  J( 'ー`)し
                    ( )\ ('∀`)
                      | |  ヽ(  )

2005年01月25日

タケシとカーチャンと動物園

919 :(*゚Д゚)さん :05/01/23 08:32:06 ID:e5WBN5hh
┏━━━━━━━━━━━━┓
┃┏━━━━━━━━━━┓┃
┃┃                   ┃┃
┃┃   J('ー`)し       ┃┃
┃┃    (  )\('∀`).   .┃┃
┃┃    │|  (_ _)ヾ    ┃┃
┃┗━━━━━━━━━━┛┃
┗━━━━━━━━━━━━┛

初めて動物園に行った時の写真だ。
母はそれを肌身離さずいつも持っていた。


   せ・先生、あらもう診察の時間?

 |
 |   /J( ゚∀゚)し     ('ー` ;) カ・カーチャンオレダヨ
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )  タケシダヨ・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    きゃはは 先生ったら冗談ばっかり!

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 |   /J( ゚∀゚)し     ('ー` ;)  ・・・・・・・
 |   |  (  /⌒⌒⌒ヽ (  )  ・・・・・・・・
 |   |/ /     /| │|
/ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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2004年12月31日

託された夢

19 :名前:2:04/12/22 23:55:12
三人兄弟の末っ子だったオレ。オレが消防だった時に兄貴が高3だった。
車好きの兄貴は自動車会社に就職したくて大学に行きたかったみたいけど、
頭は決してよく無かったので私立の大学にしかいける大学がなった。兄貴は親父に大学に行きたいと言ったが、
親父は『家には金が無い。残りの兄弟もいるし、我慢してくれ。すまん。』と言った。
影でその話を聞いていた俺は、それまで自分の家が貧乏だと思ってはなかったので驚いた。
話を承知した兄貴は、肩を揺らして泣いていた。親父も自分が不甲斐無いのか泣いていた。
その後、兄貴は高卒で就職した。数年後、同様に二番目の兄貴も高卒で就職した。
そして、俺が高3になった時、俺も大学に行きたいと思っていた。
自分でもいうのはなんだが、学校での成績はかなりいいほうだった。
しかし、親兄弟には迷惑はかけれないと進学は諦めていた。迷惑をかけないように、
『オレも高校卒業したら就職するから。』って家族にいつも言っていた。
そんな時、2人の兄貴が『お前は安心して好きな道を歩め。大学に行きたいなら、はっきり言え。オレがどうにかしてやる。
お前は頭もいいし、オレの出来なかった夢を叶えてくれ。』と言ってくれた。嬉しかった。大声で泣いた。

数年後、オレは無事に大学を卒業、兄貴の夢でありオレの夢であった自動車会社に就職することができた。
兄貴は喜んでくれてはいたが、さぞ悔しかっただろうと思う。申し訳ないことをしたと思っている。
面と向かって言うのは照れるので、ここで言わせてもらいたい。
兄貴、ありがとう。いつか、最高の車を造るからな。

2004年12月25日

子は親を育てる

158 :素敵な旦那様 [sage] :04/12/17 16:19:19
昨日の夜。年末だし仕事も超忙しいし残業続きだし、
普通に午前2時に帰宅、いつもどおりだよ。
テーブルの上の冷めたおかずがいつもより少しリッチだった。
ボーナス出たばっかしだしな、
でもあんま飛ばして使うとすぐなくなっちゃうぞー、
オレの稼ぎは少ないぜぇー、
かなんかブツブツ言いながら食って、風呂入って、ビール飲んで即寝。

今朝、しょんべんで目が覚めたら
オレの横でまだ寝てるかみさんの枕元に、花一輪。
摘みたてっぽい、なんかわからんけど、とにかく花だ。
なんか供えてあんの。
なんじゃこりゃ、と思いながらしょんべん行って
二度寝する前にリビングで、我が家で一番の早起き小僧に
「かーさんの枕元に花置いたのお前か」ってきいたら
犬の散歩の途中で近所の人に
「かーさんにあげたいので一輪だけ下さい」って貰ってきたんだと。
「とーさん、好きな女の誕生日には、花ぐらいあげなきゃだめだ」
ってマジ顔で言われた。
「あの花、とーさんから、ってことにしといてやるから。」って。

昨日、かみさんの誕生日だった。
・・・・・わすれてた。。。。。

小4の息子、生まれた時なんか3キロなかったんだぜ、
あのチビスケがオレに貸し作りやがった。
嬉しいやら情けないやらで、朝からなんだか涙ぐんじゃったよ。
オレ、今日、ケーキ買って早めに帰るよ。

2004年12月02日

中学2年12月10日の俺へ

217 名前:Mr.名無しさん [sage] 投稿日:04/11/14 17:26:50
中学2年12月10日の俺へ

お前さ、今、原因不明のけいれん発作に悩んでるだろ、誰にも相談せずにさ。
けいれんの時の顔が「変な顔」とかもっとひどい言葉で罵られていじめられてるだろ。
病気といじめで悩んで、この日もかなりいじめられて帰ってきたんだよな。
それで、包丁持ち出して手首切ろうとしてるだろ。ホント辞めろ、頼むから。
お前度胸ないしさ、軽傷で終わるけど母さん泣かせるんだから。さらに父さんに殴られるから。

病気に効く薬、ちゃんとあるからな。いろんな病院行って2年後にそれ飲んだとき感動するよ。
お前、街中でいきなり大声でよっしゃーとか言ってガッツポーズする。でも恥ずかしいからやめておけ。
それでお前は大学入学の頃、化学を勉強して薬を作るのを一生の仕事にしようと思うわけだ。

お前の病気は完治しないんだけどさ、でもお陰で学んだことたくさんある。
死んじまったらなんにもできねぇんだ。
お前なんかよりきつい立場にいる奴いっぱいいるよ。
でも、お前の手足は薬飲んでりゃまともに動くから!

お前の切ろうとしてるその左手で、俺は新しい薬作ろうとしてんだ。
何か新しい薬作って誰かをよっしゃーって叫ばせてやろうぜ!
街中でガッツポーズとらせてやれ!ついでに恥ずかしい思いさせてやれ!
いいか、包丁は持ち出すんじゃない、それはお前の手首切るための道具じゃない。
その包丁で母さんに明日の朝飯と弁当作ってもらえ、いいな!

2004年11月30日

父とドラクエ

348 名前:名前が無い@ただの名無しのようだ[sage] 投稿日:04/11/11(木) 22:04:05 ID:/ZSvu3g0
父親が発売日にFCの4を買ってきた。
私と弟とで順番にクリアしたあと、父親はなぜかずっと
4章のトルネコの序盤(店でひたすら武器とか売りまくる)を続け、
それだけで5万も6万もゴールドを貯めていた。
思えば父親は2でも全員のLVをMAXまで上げたり
単純作業が好きなのかなと思っていたが
もう、一度クリアしてしまったそれらのゲームで
また私や弟が遊ぶときにキャラが強かったりお金が多いと喜ぶだろうと
それだけのためにちょっとズレた愛情表現をしてくれていたってことがわかった。

私も弟も成人し、実家を離れて生活をしていた頃、父が入院した。
お土産に、なぜか私はGBAとGB版のDQ1&2、そして3を買って持って行った。
父は骨と皮だけになっていた。
私がお土産を渡すととても喜んで、ヒマな入院生活をそれと共に過ごしたらしい。
もう、子供のために単純作業続けなくてもいいんだよ、お父さん。
いっぱい冒険してね、お父さん。
父は普通の食事が喉を通らなくなり、DQ3のパーティにこんな名前を付けた。
勇者コロッケ 武闘家つくね 僧侶とんかつ 商人おでん
「はよ元気になってこれ食べたるねん」と笑う父。
ガリガリに痩せた父の姿を見たのはこれがさいごだった。



今では食べられなかったあのころのカタキをとるかのように
体重も激増!ムチムチ状態で「8まだ出えへんか!」と
電話してくる父です。退院おめでとう。

2004年11月13日

誰かを愛する誰かのために

546 :もしもし、わたし名無しよ :04/10/27 21:18:12
父親がレスキュー隊員だった。
自分にとって父ちゃんは誇りだったけど、危険な仕事だって分かってからは
仕事に行く父ちゃんに縋りついてわんわん泣く子供だったらしい。
でも、父ちゃんは「父ちゃんがお前や母ちゃんのことが好きなように
父ちゃんが助ける人たちにも、大好きな人がいるんだ」ってよく言ってた。
誰かを助けるたびに、自分が助けられてるような気がしたって。
だから、頑張って欲しい。がんがれ。新潟のレスキュー隊超がんがれ。
誰かを愛してる誰かのために、超がんがれ。

2004年11月11日

空のこども

町一番の物知りおじいさんは毎日ベンチでひなたぼっこ
ある日男の子がやってきてたずねました
「おじいさん、どうして風船は上へ上へ飛んでいくの?」
「それはな、中に『空のこども』がいっぱいつまっておるからだよ」
だから風船は――お空に帰ろう帰ろうとするんだ

次の日も男の子はやってきました、手には割れてしまった風船を持って
「ねえ、おじいさん中の『空のこども』はどこにいっちゃったのかなぁ?」
「風船が割れてしまうと『空のこども』はあちこちにちらばって――
 どんどんどんどんちらばって――地球をぐるりをつつむぐらいにちらばっとるよ
 気をつけて見てごらん、帽子が飛ばされたり、木の葉が舞ったり、砂漠の砂が舞い上がったり
 ぜんぶ、お空に帰りたがってる『空のこども』のしわざだよ」

次の年――男の子はお母さんを病気でなくしてしまいました
男の子は一人でベンチにやってきました
「おじいさん、お母さんはどこに行ったの?」
おじいさんはしばらく黙り込んでいましたが、やがて静かに話し出しました
「お母さんはどこにでもいるよ
 お母さんの体につまってた、君のことを思う気持ちは――
 体を無くしてあちらこちらにひろがって、どんどんずぅーーっと広がって
 地球をつつむぐらい広がって、広がりすぎて薄くなっちゃったものだから
 お母さんがいること少し感じにくくなってるけど、気をつけて見てごらん
 君の通る道にキレイな花が咲いてたり、気持ちのいい風が吹いてきたり
 鳥の美しいさえずりが聞こえてきたり、君が幸せを感じたらそれはきっとお母さんだよ」

2004年11月01日

車掌さんと少年

36 名前:名無しでGO![] 投稿日:04/08/17 13:41 ID:tK6MPlpI
俺は、「つばめ」というか787系です。
消防の頃、初めて九州に旅行に行きはしゃいでいると財布をどこかで落としてしまい(切符は別にしてた)デッキでワンワン泣いてたら車掌さんが「どぎゃんしたとか?」と。
事情を話すと不憫に思ってくれたのか、ビュッフェに連れてってもらい地鶏照り焼きチャォを買ってくれ座席も埋まってたので車掌室で食わせてくれた、そのとき見た東シナ海の夕日の光景とごはんの味は今でも覚えてる。
無一文だった漏れをその後、車掌区に連れて行ってくれ退勤後は自宅に泊めてもらい、色々な話を聞かせてもらった。
当時、鉄道員になりたかった漏れは興味深い話に釘付けになった。
翌日、お駄賃までもらい「がんばってJRば入れ」と帽子をくれた。

その後、何度も世話になりついにその車掌さんも定年、最後の乗務は787系。
ご家族は仕事なので来ていなかったがすっかり通いつめて顔見知りになった車掌区の人達花束を持ってホームへ行き到着を待つ。
到着の放送、運転士も気を使ってるのかゆっくりゆっくり入線してくる。最後尾には今まで白手袋なんかしてなかったのに綺麗に洗濯した手袋をはめキッと到着監視してるおじさん。
いよいよ最後の瞬間、列車は止まりドアを開け、名残惜しいように乗務員室を見回し降り立つ。
交代の車掌と少し涙声で引継ぎ。おじさんが国鉄入社から40年近く使い続けたカギも手渡し「よろしく」と一言。
その交代の車掌がレチになって初乗務の漏れです........わざわざ区が仕組んでくれたとはいえ.......あの時のお礼がわずかながらでも出来た気がしますた。

見ず知らずのガキを親身に世話してくれたおじさん、漏れの心の中の乗務時の接客の心になってます。

見づらい文スマソ

2004年10月30日

優しい嘘

855 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:04/03/07 16:56 ID:2m1nTXO4
入社4年目で初めての結婚記念日の日。社内でトラブルが発生した。下手したら全員
会社に泊まりになるかも知れないという修羅場なのに、結婚記念日なので帰らして
くださいとは絶対に言えなかった。5時を回った頃、T課長が俺を呼びつけ、封筒を渡して、
「これをK物産に届けろ」と言う。K物産は、隣の県にある得意先で、今から車で出ても
8時までに着けるかどうかすら分からない。「届けたら直帰していいから」と言うが、直帰も
何も、K物産に届けて家まで帰ったら、きっと11時は過ぎるだろう。

文句を言いたかったが、「わかりました」と言って封筒を預かった。中身を見ようとすると
「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!」とつれないT課長。不満たらたらの声で「行って
きます」というと、課内の同情の目に送られて駐車場へ向かった。車に乗り込み、封筒を
開けると、一枚の紙切れが。「結婚記念日おめでとう。今日はこのまま帰りなさい」と書か
れていた。会社に入って初めて泣いた。

その翌年、T課長は実家の家業を継ぐために退社した。送別会の席でお礼を言ったら
「そんなことあったか?」と空とぼけていた。T課長、お元気でおられるだろうか。
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